さくら名所百選

大正天皇即位記念事業として造園されたこの公園は、満山松の緑の真人山を背景に池と中島を設け、桜・梅・あやめ・つつじを配し、四季を通して美しいたたずまいを見せます。特に二千本の桜が咲き誇る季節は圧巻です。県内屈指の桜の名所として訪れる観光客も多く、平成2年には「日本のさくら名所百選」に認定された名園です。大正初期に造園工事が行われるまえは松林を主とする自然公園だったそうです。第一広場が整備される前はその広場では縄文土器や石器など採取されていました。

りんごの唄との縁

【リンゴの唄の碑】
戦後の日本映画第一作『そよかぜ』(昭和20年、松竹大船)は増田町でロケが行われました。並木路子さんが歌う挿入歌「リンゴの唄」のヒットによって、町のりんごの普及と、そのイメージアップに大きく貢献した功績を顕彰し、りんごづくり一層の発展を祈って建立しました。

「真人」の由来

「真人」の名称の由来は平安時代まで遡ります。前九年の役で源氏勢力と共に陸奥国の安倍一族を滅ぼした、出羽国の”清原真人武則”がここに出城を居城したといわれています。そこから「真人(マト、マトウ)」と名付けられたそうです。清原一族は安倍一門の藤原家の妻子を引取育てたわけですが、複雑な一族内の紛争が後三年の役へとつづくこととなります。十二年間ほどの一族内紛争ののち戦いに勝利した清衡は清原氏の旧領すべてを手に入れることとなりました。その清衡は実父の姓を名乗り藤原清衡として藤原三代の栄華を築くことになります。仏教美術の円熟期とも称される平安時代末期、東北地方の二度にわたる大きな戦いで家族をなくし、後にその東北地方を治めた藤原清衡が、戦いで亡くなってしまった全ての人々、そして故なくして死んでしまったすべての生き物の御魂を極楽浄土に導き、この地方に平和をもたらすべく建立した中尊寺の堂塔が古の栄華を今に伝えます。その歴史の一ページに増田の真人山が存在しています。